国営昭和記念公園管理センター 廣瀬 健太 センター長「街と自然を結び、地域の誇りとなる公園目指す」
立川と廣瀬さんの関わりについて
計画面積約180haという広大な敷地を有し、年間400万人という来園者を魅了し続ける都内最大の都市型公園「国営昭和記念公園」。その裏には自然を相手に日々奮闘する、スタッフのたゆまぬ努力がある。センター長の廣瀬さんは「地域の人たちにとって、誇りとなるような公園でありたい」と、その想いを語る。
神奈川県に生まれ鎌倉で育った廣瀬さん。父親の影響で山登りに魅了され、東京農業大学に入ると、すぐに山岳部に入部した。1年の内100日は山に入り、そのうち9回は合宿という異様な大学生活。24時間、衣食住を共に過ごす、他のスポーツにはない経験をした。
卒業後、木材商社へ入社するがヒマラヤの高峰で亡くなった山岳部OBを探しに行くため、3か月の長期休暇をとり登頂を果たす。3年後には退社し、 8585m、世界第3位の高峰カンチェンジュンガ峰へ挑戦。しかし頂上アタック時に5人パーティの内、1人は高山病で、1人は滑落し亡くなってしまう。廣瀬さんも凍傷により足の指先を5本失った。その後もエベレストにも挑戦するなど山に魅了され続ける中、「ヒマラヤの山々の世界は、岩の黒、雪と氷の白しかない世界が続く。下山してくると草木、花々の色鮮やかな世界に一気に心が和らぐ感動がある。人間にとって、緑や自然がどれほど大切なものかを痛感した」と当時を振り返る。
現在の一般財団法人公園財団に入社後は全国の国営公園の運営に奔走し2年前、同園のセンター長に着任した。「人の手によって造られた公園だが、40年の時を経て独自の生態系が生まれてきている」と廣瀬さん。
立川での思い出や、これからの立川への期待は?
「公園は一番身近で、安心、安全なアウトドアフィールド。地域に暮らす人が、自然の魅力を気軽に経験できる学びの場として、発展を続ける立川の街と、多摩の豊かな自然、そこに暮らす地域の人たちをシームレス結ぶ場でありたい」と力強く話してくれた。
(取材:高木 誠)
